TK-80 のお部屋





NEC のワンボードマイコン。 TKはトレーニングキッドの略。(準備中)

西村 健 さんの TK-80 への思い入れ(投稿ありがとうございましたm(__)m)

私が初めて触ったコンピュータが、TK-80 でした。基板むき出しの上に、16進キーボードと8桁の8セグメント LED(*1) が乗っただけの、当時、ワンボードマイコンと呼ばれていた物でした。

その時、私は高校生でしたが、英語の時間にはアセンブラで、数学の時間には機械語でコーディングしていると、先生がちらっとノートを見ただだけでは、内職してるように見えないというのを利用して、授業をほったらかしでアセンブラのコーディングをしていたものです。

この TK-80 は、学校の物理室に置いてあったもので、私も欲しいとは思っていたのですが、当時10万円近くもするうえに、動かすためには別売の安定化電源(*2)も必要で、高校生には到底買えるものではありませんでした。

かなり高価なマシンでしたが、最初はプログラミングエリアが 768 バイトしかありませんでした。キロもメガも付かない、ただの 768 バイトです。しかも、システムのワークや、スタックエリアにも使われるので、プログラムを作れる領域は、せいぜい 512 バイト位なのです。それでも、ハンドアセンブルでプログラムを作っていた当時の私には、けっこう広々とした領域でした。その後、物理部の顧問の先生が、ポケットマネーでメモリを 256 バイト増設したときは、1キロバイトもの領域を、自分のプログラムで埋めつくせる日なんて、いつになったら来るのだろう、と感動したものです。まあ、すぐ埋まりましたが(笑)。

この TK-80 には、8セグメントLEDの8桁の表示装置しか出力装置が無かったのですが、それでも一生懸命ゲームを作ったものでした。皆アイデアをふりしぼっていろんな遊び方をしていました。プログラム電卓で作られたゲームの移植なんかもしていました。もちろん移植と言ってもアイデアだけで、プログラムは作り直しなのですが。ちなみに、私が作ったゲームの第一弾は TK-80 での「HEAD-ON」でした。

この TK-80 は、マイコンブームのきっかけになったほど、それはそれは大層な売れゆきだったそうです。聞いた話ですが、当時 TK-80 は、半導体の新しいシェアを開拓する目的で考えられたそうで、引き続くパソコンブームも考え合わせると、それはもう凄いシェアを開拓したわけで、NEC にとってみれば、TK-80 様サマですね。

このころは、他社でもいくつか 8bit のマイコンキットは出ていたのですが、それらのキットには、入出力装置が付いてなかったので、もひとつ振るわなかったのだそうです。大半が、完全に組み込み型のマイコンとして、開発用のコンソールに接続して使う事を想定して作られていたのだそうです。それに対して TK-80 には、上にも書いた8セグメント LED と言う出力装置と、16進キーという入力装置が付いていて、コンピュータとして自立していたのが、売れた原因だったそうです。たしかに、一般家庭に開発用のコンソールなんか普及してなかったし(今もだけど)、趣味のマイコンとしては、TK-80 が一番売れたと 言うのも判る気がします。それに「当時としては」安かったし。

ところで、この TK-80 は、基板の一部がユニバーサルボードになっていて、ここに回路を追加する事で、ハードの拡張ができるようになっていました。TK-80 のマニュアルには、サンプルとして、カセットテープインターフェースの回路が載っていました。ところが、このインターフェースが不安定で、プログラムを何本もだめにしてしまいました。後からクラブの先輩に「あの回路図にはバグがある」と聞かされて「マニュアルにも間違いがあるのか!」と当時の純真な私は、びっくりしたものです。私が、マニュアルに書いてある事も、まず疑ってかかると言う、ひねくれた性格になったのはこれが原因です。NEC も罪作りな事をしたものです(笑)。

*1 8セグメント LED
LED のセグメント(線分)を7本、8の字に並べて数字を表現していました。7セグメント LED と呼ぶのが一般的なのでしょうか。うちのクラブでは小数点のあるなしで、8セグメント LED と7セグメント LED と呼び分けていました。

*2 安定化電源
TK-80 は +5V の単一電源ではなくて +12V も必要だったためか、結構値段が高価でした。クラブで買った電源は「安定化」とは名ばかりで、冷蔵庫のコンプレッサーが運転を始めただけで、TK-80 が暴走するぐらい電圧変動に弱かったという記憶があります。

おとーる さんの TK-80(ベーシックマスタ、FM-11、FM-TOWNS) への思い入れ(投稿ありがとうございましたm(__)m)

思えば、初めて触った計算機は、NEC TK-80 だったと思う。モニタやキーボードはおろか、筐体すらない、アクリルの足に乗ったマザーボード1枚というシロモノだ。Intel8080のNEC製セカンドソースを乗せ、テンキーと8セグのLEDが8桁分乗っていたと思う。自分でハンダづけをして作るという、言ってみればちょっと高級な電子工作オモチャといった風情だった。これに比べれば、今の自作PCなんて、なにも自作ってとこねえよな。単に組みつけるだけだし。

このワンボードコンピュータで、今にして思えば貧弱極まる表現力しかないが、LEDでできるゲームなどをi8080なアセンブラで書いて、遊んだりしたものだ。TK-80そのものは、そのうちリッパな筐体が出て、フルキーボードもつき、TVにRFで出力したりできる TK-80BS という上位機種になり、さらに PC-8001, 8801, 9801 と発展する礎となったと思う。

同じ頃、日立からベーシックマスターというマシンが出ていて、オレはそっちも買った。まだPCとかパソコンとかいう言葉自体がなく、マイコンと言われていたと思う。マイ・コンピュータ、自分だけのコンピュータという意味合いで。ベーシックマスターは、レベル2、レベル3と発展していったのだが、オレが持ってたのは初期型のヤツだ。

これには立派なフルキーがついており、というかフルキーが筐体のほとんどすべてを占めていて、その筐体の中にマザボもある、といった風情だったのだが、TVにRF出力で接続して使うようになっていた。音声用のカセットテープにプログラムを保存し、また読めるという、言ってみれば外部記憶も考慮された、一通りの機能を供えた構成だった。Motorolaのm6800を登載して、電源を入れると即座にBASICが起動するという、当時、またその後しばらく続いたPCの基本構成を決したようなマシンだったと思う。

オレはたしか、小学生の4年から5年といった頃だったな。今から30年近く昔の話だ。ぢぢぃになったものだ...

その後は、ほんとうにいろーんなメーカーから、多岐に渡るマシンが出てきたものだが、歴史的にはNECのPC-98シリーズだけが生き残り、COMPAQショックと言われたPC/AT互換機の日本上陸まではNECのPC98による支配が続いたのはみんな知ってることと思う。

i8080のアセンブラが読み書きできるようになり、m6800のアセンブラも読み書きできるようになった頃には、すっかりMotorolaのいわゆる68系というものが好き、というか馴染むようになっていたオレは、大学生になるかならないか、といった頃に、富士通のFM-11というPCを使うようになっていた。

究極の8bit CPU と言われた、Motorola の m6809 というプロセッサに、OS/9 という OS が登載されていて、マルチタスク、マルチユーザで、プロセススケジューラを持ち、コマンドシェルではパイプラインまで使えるという、極めてまっとうな OS だった。OS/9 は今でも大好きだ。オレが OS というものを意識した、初めてのモノだと思う。

世の中に Unix という OS があることは知ってはいたが、当時では到底、自宅に置けるようなシロモノではなくて、憧れの存在だった。だが OS/9 には立派な Cコンパイラが付属していたものだから、Unixのコマンド、それこそ cat とか ls とか find とかを、猿のように OS/9 に移植したものだ。プログラムを書く、という練習や、デバッグ、動作テストといったことから、OS の振舞い、I/O資源の共有といった基礎まで、自然と OS/9 で自習できていたことになる。

オレがコンピュータというものを考える上での軸のようなものが、このときに形成されたと言っても過言ではないなぁ。

大学を卒業する頃は、まさにバブル花盛り、といった時代で、今の若い世代には大変心苦しいが、ほとんど入りたい会社に入れるような感じだった。世の中はすっかり PC98 になっていたが、オレは FM-11 がまだ大好きだったので、富士通に入ることにした。

ココログで古河建純さんが、FM-TOWNS誕生秘話みたいなことを書いておられるが、オレもちょうどその時分に富士通に居合わせた幸運で、ちょっとだけ関わることができた。もちろん古河さんは、当時の新入社員だったオレのことなど知るよしもないだろうけど、オレにとってもFM-TOWNSは思い出深いマシンなのだ。

当時はCD-ROMを登載しているPCはまだなくて、それを積むこと自体も大変だったというのは、古河さんのblogを見てもらえればわかると思うが、CD-ROMにソフトウェアを「焼いて」出荷してもらおうにも、CD-ROM ライタ自体もまだ潤沢には存在していなかった。で、CD-ROM ライタのハードウェアも含む、今で言うところのオーサリングシステムを作る、という仕事がオレのところに回ってきたのだ。それをFM-TOWNSをサポートしてくれるISVさんに供給できなければ、FM-TOWNSのソフトウェアは品数を潤沢に揃えることができなくなってしまうからね。

試作機のCD-ROMライタなんてスゴくて、富士通ゼネラルという、家電をやっているグループ企業の、民生用CDプレイヤーが筐体として選ばれて、そのピックアップを書き込み用のバーナーに取り換えるなどして作られたものだった。速度?もちろん x1 だよ。等速だ等速。今なんて x60 とかで数千円とかだもんな(遠い目)

そんなこんなでハード屋さんと二人三脚で苦労して、初めてCD-ROMが焼けたときは、そらもう、ものすごく嬉しかった。武蔵中原の工場で、遠くの空を見つめていると、涙で景色がにじんで来ちゃうぜ、てくらい嬉しかったよ。

.....

回顧録のようになってしまったが、オレは今でもプログラムを書いて、デバッグして、チューニングして、という日々を過ごしている。考えてみれば、本当に恵まれていると思う。

昨日までは存在しなかった何かが、今まさにここで作られたんだな、という瞬間に何度も居合せることができたし、技術者として、こんなに幸せなことはない。

今でも、モノを作り、それが何かの役に立つってことが、とても嬉しいという気持ちは、昔とまったく変わらないなぁ。自分のしている作業や仕事の品質を左右するのは、結局のところ、スケジュールでもなく、給料や待遇や環境でもないんだな。モノを作る喜び、これが一番大事なことなんだと、最近はつくづく思うよ。


TK-80 マシンスペック

名称 TK-80(Training Kit)
発売日 197?年?月?日
定価 ??????円


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